自分の中の評価軸

学生にそれを与えるのが大学の先生の仕事ですよ。それでお給料もらってるんでしょ

大学院の教授がクソだと言われる一つの理由

 勘違いすんな。 大学の先生の仕事は生徒に「失敗させる」ことだ。
 君は気をつけた方がいい。 「精神的な背骨」を与えてくれる人にろくな人間は居ない。 


 で、本題。

いったん通り抜けた人からすれば「卒論程度」のことでも、
そこに佇んでいる人からすれば「将来」の全てがかかっているようにも見えるものだと思う。

http://ingot.jp/blog/graduation-thesis.html

 間違っていない。 将来のすべてがかかっている。 そうでなくてもそう思うべきだ。
 卒論程度で自分の背骨が作れなかったら、次に待っている「大したこと」は「生活していくこと」だ。

「卒業していく君」はそれをしないのだから、なんらかの「精神的な背骨」を持っているんじゃないかと思う。

http://ingot.jp/blog/graduation-thesis.html

 その「精神的な背骨」は日々働いて報酬を得ていく上でどれくらいの役に立つだろうか。
 「労力に見合った報酬が得られなければ誇りが持てないプログラマーが、いつまでプログラマーで居られると思う?

 増田だらけでアレだが

もし、自分の中に、何らかの基準を持ちたいと思うのであれば、
できない人たちに巻き込まれても大丈夫なように、それをタフに鍛えなければならないよね。
その、最後のチャンスが、大学だったんじゃないかな、って。

http://anond.hatelabo.jp/20090223125730

 「精神的な背骨」を鍛えきれずに社会に出てしまった場合、周りの「できないやつら」に散々にやられたあげく精神的な背骨になるのは「お金」だ。
 それが一番わかりやすい他人からの評価だからだ。 


 チャンスは大学が最後じゃないが、どんどんハードルは高くなる。
 できれば学生の特権があるうちに自分の中の評価軸は作っておいたほうがよい。